スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

才能について考えてみる

タグ:感想系駄文 自己流


◇◆才能について考えてみる◆◇


どうも、自分はズバッと作者の本音が出ている作品が好きなようだ。例えばNHKにようこその滝本竜彦とか。エヴァとか。金原ひとみとかもいいかもしれない。

なんだけど、今期の新番アニメや創作物を全体的に見てみて、本音を出せる人が若い人にごく限られているというか。
20代は捨て身でいけるから自分を晒け出せるのだけど、30代を超えてくると段々と本音を晒すのがキツくなっていくような気がする。んで、制作の現場の人達って30代~50代までが相当な数というか大多数なわけで。

例えば、20歳前後のオタクが主人公だとする。これだとNHKだったりげんしけんだったり見て感じるように、そんなにはキモくない。だから20代の人間が20代のオタク話を書いたとしてもたいしたキモさはない。

だが、例えば30代中盤のオタクが抱き枕とかを秋葉原で購入し、家に帰るまでのシーンを描いたらどうなるのか。例えば40代のいいオヤジがエロフィギュアを大人買いするシーンを描いたらどうなのだろう。

現実にはこんなのよくある話。だけど、絵にしたらかなりヤバい。描き手の内情暴露の作品だとして、それを描いた本人はもの凄い自己嫌悪に陥ってしまうだろう。自分を客観的に直視してしまうので。その落ち込み方は滝本竜彦の比ではないと予想される。


つまり、30代超えてくると、迂闊には自分を晒け出せない。そういう創作家がどういう行動に走りやすいかと言えば、やはり対面のいい正論を延々と述べていくか(このせいで説教くさくなる)、大多数の人間がキモくないとしている価値観の事柄に自分を埋没させて、それを描くか(例えば政治とか会社とか演劇とか教師とか)。書き手が書いててストレスを感じないものをを描くか(例えば時代劇とか、SFとかファンタジーとかミステリとか)。


俺は、才能という言葉が信じられない。というか、才能はどっかの誰かが逃避の為に作り出した言葉だ。才能なんて等しく誰にも存在しない、とも言えるし、才能は誰にでもある、とも言える。少なくとも創作については才能って言葉は逃げ口上以外の何者でもなく、そこらへん歩いてる人のほうが有名な作家よりも面白いこというし、ネットをちょっと探せば優れた文章を書く人がゴマンといる事に気づく。逆に流通にのるような雑誌や新聞で駄文を書き垂らしている人もゴマンといる。

この、才能という言葉に逃げ込む事によって、その作品が優れている根拠を霧の中に隠してしまうし、あの人は才能あるから、私には才能ないから無理、そう言って優れた作品が何をもって優れているのかの理由を調べようとしない。

でも、小説の新人賞や漫画の新人賞を見ると、個人に能力の差があるのはハッキリと見てわかる。

結局のところ、粘りとか執念といったものが差を生むんだろう。書かない人が賞を取る訳が無いのと同じで、粘って粘って書き続けた人が賞を取るのだと思う。それを才能のひと言で片付けてしまうのは冒涜でしかないし、本質を見えなくすること甚だしい。なにがその作品を優れたものにしているのか、その根拠を考えるところから始まるような気がします。

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。